「アメリカ生まれ、日本育ち:日本アニメの新しいスターたち」ニューヨーク・タイムスのアニメ記事
7月24日付けのニューヨーク・タイムスのArts&Leisure欄に先週に続いてまたアニメの記事が載った。
(↓要約…時間が無い時はここだけ読んでください。)
最近の日本アニメに見られるヒップホップの影響について渡辺信一郎『サムライ・チャンプルー』、今敏『妄想代理人』、そして井上三太の『TOKYO TRIBE』を挙げて解説。そしてこの影響を日本のポップカルチャーにおける差別的黒人像の変化として肯定的に捉える意見と、その見解に悲観的な意見の両方を紹介している。
(↓かなり長めの要約…時間がある時にどうぞ。)
長年に渡って日本人による人種的マイノリティーの描写は物議をかもしてきた。1986年、当時の中曽根首相による黒人、プレルトリコ人、メキシコ人に対する侮蔑的発言から20年近くたった今でも、浅黒い肌を持つ人々の差別的イメージは日本のポップ・カルチャーの至るところに見られる。
1983年の代々木公園のブレーク・ダンスに始まる日本におけるヒップホップの流行はその文化的偏見を一掃するとまではいかなかったが、それ以後ヒップホップの音楽は徐々に浸透しアニメの世界にも影響を与えてきた。そして現在では数年前には想像もできなかったような速度で黒人の古いステレオタイプが新しいイメージへと変えられつつある。『天上天下』のオープニングや最近アメリカで発売された『無限のリヴァイアス』や『ディア・ボーイズ』でもヒップホップ音楽が使われている。
この異種交配とも呼ぶべきヒップ・ホップとアニメの融合が最もを鮮やかなのは昨年末にアメリカでDVDが発売された『サムライ・チャンプルー』と『妄想代理人』だろう。
クールな浪人ジンとちょっとボケたフウに加え、『サムライ・チャンプルー』に登場するモップ頭のムゲンなど下駄をエア・ジョーダンに履き変えればそのまま21世紀のアメリカでブラブラしていそうだ。
ヒップホップが出てきた頃からずっと興味があった。音楽業界で作られたものではなくてストリートから生まれたところや、ターンテーブルを楽器として使うところ、ありふれたラブソングの代わりに現実について生き生きと歌うところ、そしてグラフティやダンスとリンクしているところとか。
江戸時代のサムライと現代のヒップホップ・アーティストには共通点があると思う。ラッパーはマイク一つで未来を切り開いていき、サムライは一本の刀で自分の運命を決めていく。
(渡辺信一郎 Eメールによるインタビュー)
マサチューセッツ工科大学で日本文化を教えるコンドリー氏は言う。
『サムライ・チャンプルー』では日本における民族的、人種的差別も大きなテーマだ。本土の人たちから差別を受けた沖縄の人々やアイヌ、ゲイのオランダ人、そして徳川時代に迫害されたキリスト教徒も登場する。
『妄想代理人』の少年バットはだぶだぶのカーゴパンツ、野球帽、アフロヘアという出で立ちだ。彼は実際に存在する人間なのか、他のキャラクターの子供時代のトラウマの投影なのか、それともヒステリックなメディアの産物なのか、誰にもわからない。彼の存在の不安定さはコンドリー氏が言う“一種のストリート・カルチャーであるメディア・カルチャー”の作られた名声というものを反映している。コンドリー氏は説明する。「逆説的だがテレビに映されるものがストリート・カルチャーなのだ」マンガやアニメはたいてい流行を敏感に作品に取り入れているが、ヒップホップがマンガに登場したのは1997年に発表された井上三太の『TOKYO TRIBE』が最初だろう。このマンガは後にその人気を受けてアニメ化された。
僕が影響を受けたのはアメリカ南部の文化だ。それに『グッド・フェローズ』のロバート・デニーロ、ジョー・ペシ、高倉健、『ブラック・レイン』の松田優作。そして『ジュース』のトゥーパック、そして『ボーズン・ザ・フッド』のアイス・キューブ。『TOKYO TRIBE』に出てくるレンコンシェフは「ウータンクワン」のロエクワンがモデルだ。
(井上三太 Eメールによるインタビュー)
岐阜大学で文化人類学を教えるラッセル氏はアニメにおけるヒップホップの影響は、西洋のエンターテイメントから大昔に消えた黒人の否定的なイメージを消し去るまでには至っていない、と言う。
ラッセル氏によると、黒人を貶めるようなカリカチュアされたイメージは今だにテレビ番組、コマーシャル、マンガ、お土産屋などに溢れ、コスプレの参加者の中にも黒人の差別的なイメージを強調したマスクを被っている人たちが見られる、ということだ。
現在日本のポピュラーカルチャーに登場する黒人のイメージを研究しているラッセル氏は、ヒップホップが黒人の古いイメージを再び強化するかもしれないことの危惧を表明する。
確かにヒップホップは黒人らしさをクールにカッコよくしたけれど、いまだにそれは黒人を物として見たものでありフェティシズムの対象にすぎない。アメリカのヒップホップはステレオタイプの順応と更新をデジタル時代に合わせて繰り返しているというのに。
しかし前述のコンドリー氏はラッセル氏に賛成しない。
確かに人種差別というほどでは無いが黒人の否定的なイメージは日本のメディアに沢山見ることができるし、実際に社会にも偏見はあるだろう。しかしヒップホップのファンたちはアフリカ系アメリカ人とその文化を大きくリスペクトしている。ヒップホップは人種的理解と思いやりへの入り口になるに違いない。
(管理人のつぶやき)
『妄想代理人』に見るヒップホップ文化の影響の根拠がかなり薄いような…
この記事の筆者はチャールズ・ソロモン氏。前回のニューヨーク・タイムスのアニメ記事「手強い少女たち」(当ブログ内の要約記事)を書いた人物だ。