「シークエンシャル・アート」って何だ?

「世界に広がるMANGA(1)」という当ブログのエントリーで出てきた「シークエンシャル・アート」という言葉に註とも呼べない註を付けたらコメント欄でその言葉について質問がきた。

そこで返事を書いていたら長くなってしまったので安易に「また今度別エントリーにして書きます」なんて答えてしまったのだが、「シークエンシャル・アート」の意味を取り上げたら、「コミックス」の定義みたいな話になってしまう。今でも意見が分かれて議論になっているような「定義」の問題をシロウトが簡単に書いちゃっていいのかなぁっと心配になってきた。

そこでとりあえず「わたしのわかっている範囲で」と強調しておいてから、書いてみることにする。もし「それは違う!」という方がいらっしゃったらコメント欄で(優しい)ご指摘お願いします。

追記:コメント欄で「わかりにくい」というご指摘を受けたので、以下の記事の論点をここに先に挙げておきます。

●「シークエンシャル・アート」という言葉がコミックスの定義、または別名のように一般に使われているが、その意味は「連続的芸術」または「連続する絵」などの意味である。

●このような言葉が生み出された、または使われるようになった背景には幾つか事情が考えられ、その中の2つは以下の通りである。

1.「コミックス」という言葉だとそのコミックスが掲載される媒体や形式と混同される恐れがあるため、表現方法のみを言いたい時のために「シークエンシャル・アート」という言葉が必要になった。

2.「コミックス」という言葉は「コミカルな(愉快な)」という意味を連想させ、コミックスの扱う内容に誤解を与えかねない。その連想を払拭するために、別の言葉が必要になり「シークエンシャル・アート」が使われた。

<「シークエンシャル・アート」という言葉とその言葉ができた背景>

「シークエンシャル・アート」とは直訳すると「連続する芸術」とか「連続的な絵」とかいう意味になる。偉大なコミック・アーティストであるウィル・アイズナー氏が1985年の著作『コミックス&シークエンシャル・アート(Comics & Sequential Art)』で提唱したと言われている言葉だ。

↓『コミックス&シークエンシャル・アート(Comics & Sequential Art)』。残念ながら邦訳本は出ていない。

Comics & Sequential Art

Comics & Sequential Art

この本の中でアイズナー氏が「シークエンシャル・アート」として述べているのは以下の通り。

ストーリーを語り、考えをドラマ的に表現するための、絵・イメージ・言葉の配置を扱う創造的表現方法であり、明確な一分野を成す芸術的・文学的形式

(Will Eisner, "Comics & Sequential Art" Poorhouse Press/Florida, 5p.)

一般的に英語圏で「シークエンシャル・アート」とは「コミックス(comics)」という言葉とだいたい同じ意味、つまり「コミックス」の別名のように使われている。ただ厳密に言うと元々この本の中で、アイズナー氏が「シークエンシャル・アート」と呼んでいるものは「絵・イメージ・言葉を配置する」という一つの表現方法であり、それとは別に「コミックス」や「コミック・ストリップ」といった言葉は「媒体・形態」を表すものとして、区別して使っている。*1

つまり、アイズナー氏が「シークエンシャル・アート」という言葉を新しく提唱した理由はこの本『コミックス&シークエンシャル・アート』の中で特にその表現の「言語・文法」を詳しく論じるため、「言語・文法」を持つ表現方法とその表現が発表される「形態・媒体」の区別をハッキリさせておきたかったこともあるだろう。

しかしアイズナー氏の「シークエンシャル・アート」という新語の提唱には、その他の理由もあったようだ。ミラ・バンコ氏『コミックスを読む:コミックブックにおける言語、文化、スーパーヒーローの概念』によると、

「シークエンシャル・アート」には、“コミック”という言葉が持つ暗示的意味を避け、この媒体の初期の印象が与える風刺、ばかばかしさ、ユーモアとの連想を回避するという利点がある。この問題はドイツ語の“bilderstreifen”、フランス語の“bande dessinee”、イタリア語の“fumetti”には存在しない。実際、これらの言葉はストーリーを語る媒体というコミックスの本質を捉えている。コミックスは何かということを明確に定義し、コミカル(愉快な、おかしな)やユーモアといった連想からコミックスを引き離すという欲望は、コミックスを再評価することにおいて、批評的関心の一つなのだ。

Mila Bangco, "Reading Comics: Language, Culture, and the Concept of the Superheroes in Comic Books" Garland Publishing/New York 2000, 50-1p.

↓『コミックスを読む:コミックブックにおける言語、文化、スーパーヒーローの概念(Reading Comics: Language, Culture, and the Concept of the Superheroes in Comic Books)』。邦訳本は出ていない。

「コミックス」が映画や文学のように真面目な批評の対象にされていないことの不満は業界内にはその後も見られたようだ。「スパイダーマン」などの創造で知られるアメコミ界の偉大なスタン・リー氏も同じような不満を表している。

「コミックブック」という言葉について言うと、自分は何年もの間、世界を相手に負け試合をやってきた。多くの人々は「コミックブックを「コミック」と「ブック」と二つの言葉のように書くが、「ブック」を「コミック」が形容しているように書くと、それは「コミカルな本」という意味になり、普通の読者に間違った印象を与えてしまう。だから「コミックブック」は一つの言葉と考えるようにしよう。それだけでとても違うんだ!そうすれば突然、その言葉は笑える本という意味からある特定の出版物を示す総称となる。

Stan Lee, "Introduction" in Les Daniels, Ed. "Marvel: Five Fabulous Decades of the Wolrd's Greatest Comics" Virgin/London 1991

『マウス』でピューリッツァー賞を受賞したコミック・アーティストのアート・スピーゲルマンもユーモアとコミックスとの連想をなくすために、「comix」という言葉を提唱したりしたらしい*2。(その他「イラストーリーズ」「ピクト・フィクション」などの名称も生まれては消えていった。)

本題から少し離れるが「グラフィック・ノベル」という言葉も1964年にアメリカ人コミックス批評家で雑誌発行人であったリチャード・カイル氏が、ユーモアや子供向けという印象を払拭するために作った言葉だということだ。ちなみにこのカイル氏はヨーロッパのコミックス(バンド・デシネ)や日本のマンガにアメリカでいち早く飛びついた一人で、海外で実現されていたこのメディアの可能性に対して、アメリカのクリエーターや読者の眼を向けようと努力したようである*3

「グラフィック・ノベル」という言葉は、後にアイズナー氏の『神との契約(A Contract with Godm, and other Tenement Stories)』(1978年)の表紙に載ったことで一躍知られることになる。

↓『神との契約(A Contract with God, and other Tenement Stories)』

Contract With God

Contract With God

話を元に戻すと、

1993年にコミック・アーティストのスコット・マクラウド氏が、画期的著作『Understanding Comics』の中で、

マンガとは何か。それを正しく定義することこそが、その無限の可能性と素晴らしさを証明してくれるに違いない。

『Understanding Comics』の邦訳『マンガ学』美術出版社11p.

と、コミックスの定義について語り「シークエンシャル・アート」を取り上げたことで再びこの言葉は脚光を浴びる。

↓『Understanding Comics: The Invisible Art』

Understanding Comics

Understanding Comics

ちょっと長いが、その定義の一連の流れについて『Understanding Comics』の訳本『マンガ学』がもう絶版になっていることもあるし(原著『Understanding Comics』はまだ手に入る)ここで引用してみよう。この訳書の中では「コミックス」は「マンガ」と訳されている。現在ではこの訳は多少問題があるかもしれないが、とりあえずそのまま引用する。

コミックスの体裁を取っているこの『マンガ学』には、マクラウド氏は自分を演じるキャラクターが登場する。定義について語るシーンでは舞台の上でマクラウド氏が「連続的芸術(シークエンシャル・アート)」と描いたボードを持ちスポットライトを浴びながら、観客席の聴衆と対話をするという形式で進む。

クラウド「(コミックスの定義を決めるのに)アイズナーの定義(「連続的芸術」)は良いたたき台になると思う。何か意見は?」

聴衆の一人「芸術といってもいろいろあるし、もう少し限定したほうがいいんじゃない?」

クラウド「(中略)これでどう?」→「連続的視覚芸術」(と書いたボードを掲げる)

聴衆の一人「じゃあ アニメーションは?(中略)だってアニメも連続性のある視覚芸術だろ?」

クラウド「僕が思うにこの違いは、アニメの場合つながりが時間的で、マンガみたいに空間的に並置されていないことからきているんだと思う。映画の1コマ1コマは、まったく同じ場所に映るだろ。それに対して、マンガのコマは、みな違う場所を占めている。つまり映画における時間はマンガにおける空間と同じものなんだ。

…とにかく、これでもう少しはっきりしたかな」→「並置された連続的視覚芸術

聴衆の一人「芸術って言う必要はあるのかな?芸術に値しないとマンガではないって感じがするぜ。」

クラウド「じゃあ これならどうだい?」→「連続的に並置された静止画像イメージ

聴衆の一人「じゃ、適当に絵が並んでりゃ、マンガになるのか?」

クラウド「じゃあ、これならどうだい?」→「意図的に連続的に並置された静止画像イメージ

聴衆の一人「(中略)その定義だと文章にも当てはまらないか?だってほら、文字ったって、静止した図像だろ?違う?それを意図的に配置したのを文章って言うんだ!」

クラウド「ようし、じゃぁ、これだとどうかな?」→「意図的に連続的に並置された絵画的なイメージやその他の画像

そして、ここまで定義してマクラウドは結局元に戻る。

「たいていの場合はこの定義でオッケーだよね」→「連続的芸術(シークエンシャル・アート)

『Understanding Comics』の邦訳『マンガ学』美術出版社15-7p.

マンガ学―マンガによるマンガのためのマンガ理論

マンガ学―マンガによるマンガのためのマンガ理論

こうやってグルっとまわって一巡りしたことで「連続的芸術(シークエンシャル・アート)」が「コミックス」の定義として、または別名として一般化しているんだと思う。

『マンガ学』の中でマクラウドは政治などを題材にしたカトゥーン、1コママンガについては「マンガ(コミックス)じゃないと思う」としているが、Wikipediaのcomicsによるとマンガ批評誌Comics Journalの『20世紀のベスト・コミックス100(100 Best Comics of the 20th Century)』(1999年)では1コマのものも含まれているということだ。


とりあえず「シークエンシャル・アート」という言葉の説明はこれで終わりです。なんだか長いわりにはまたあまりちゃんとした説明になって無い気もする。。。

英語圏でアイズナー氏の『Comics & Sequential Art』とマクラウド氏の『Understanding Comics』はコミックス研究には絶対欠かせない本ということになっている。もし興味を持ったら原本を是非ご覧ください。

*1:「この本の中で(シークエンシャル・アートは)コミックスとコミック・ストリップへの応用という枠組みの中で検討されている」(5p.)や「現代では新聞のコミック・ストリップが、更に最近ではコミック本が、シークエンシャル・アートのための大きな表現の場となっている」(7p.)とあることからも「シークエンシャル・アート」と「コミックス」「コミック・ストリップ」を分けていることがわかる。

*2:アート・スピーゲルマンの「comix」提唱:「タイム・マガジン」1993年11月1日号。68p.

*3:リチャード・カイル氏の造語「グラフィック・ノベル」については『グラフィック・ノベル(Graphic Novels: Everything you need to know)』より。

Graphic Novels: Everything You Need to Know

Graphic Novels: Everything You Need to Know

追記:「グラフィック・ノベル」という言葉については小野耕世氏も著作『アメリカン・コミックス大全』で「グラフィック・ノヴェルとはなにか?」という章にまとめて成り立ちを書いておられます。