「自然体のスーパーヒーローたち:鋼の錬金術師、魔法先生ネギま!、HUNTER x HUNTER」ロスアンジェルス・タイムスのマンガ記事
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7月24日付けのロスアンジェルス・タイムス誌にマンガの記事が掲載された。記事で取り上げたのはアメリカでも好調な売れ行きを見せる話題の3作品。今回も筆者は前回のニューヨーク・タイムスの記事に続いてチャールズ・ソロモン氏である。ソロモン氏は『魔法先生ネギま!』にこそ少し否定的な見解を表しているが、全体的に3作品ともに好意的。(ただソロモン氏のお気に入りは『鋼の錬金術師』らしい。)
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『鋼の錬金術師』『魔法先生ネギま!』『HUNTER x HUNTER』の3作品には全て、超自然的能力を持った若いヒーローが登場する。しかしそのスタイル、トーン、内容にはかなりの違いがあり、その違いは日本のマンガそのもののバイタリティと多様性を反映していると言えるだろう。
マンガに親しんでいないアメリカ人はマンガをよく安っぽいコミックスだと片付けてしまう。カール・バークスの奇妙な冒険物語『ドナルド・ダック』、悪者と終わり無き戦いを続けるスーパーヒーローもの、高校生が大騒ぎする『アーチー』。実際日本産のマンガにもこれらのコミックスと似たようなものは沢山ある。しかし日本では何千ものマンガが毎週発売されていて、全ての年齢に対応した数多くのテーマやジャンルのマンガが存在する。アメリカの上の世代には『少女探偵ナンシー・ドルー』『少年探偵ハーディー・ボーイズ』『タンタン』があった。現在マンガは、かつてこれらのコミックスが得ていた地位に急速に登りつめようとしている。
『鋼の錬金術師』
荒川弘の『鋼の錬金術師』には多くのアメリカ産コミックスやアニメに欠けているものがある。それはハートだ。若いアルフォンスとエドワードは、死んだ母親を錬金術で生き返らせようと禁断の知識を求める。しかしその逸脱の代償は高かった。エドワードは足を失い、アルフォンスは身体全部を失う。しかしエドワードは自分の右腕を犠牲にして弟の魂を救い、アルフォンスの魂は一体の鎧の中で存続することになった。(これがタイトルの由来である。)19世紀後半の北米を思わせる世界で、兄弟のピカレスク風の冒険は始まる。エドは国家錬金術師としての自分の役目を果たしながら、弟と一緒に自分たちを取り戻すために賢者の石を探し求める。旅の途中で兄弟たちは聖職者に扮したペテン師から砂漠の町を救い、悪徳役人をだし抜き、ハイジャックから汽車の乗客を救ったりする。誰かが背の低さをからかうと必ずエドはむかっ腹をたてるなど、時にはコメディとアクションがバランスを取っている。
しかし、コメディやアクションがこのマンガの感情的な中心となっている兄弟の絆を損なうことは無い。キメラに変わった幼い少女を助けられなかったエドは錬金術師を辞めることすら考え、雨の中考えに沈む。アルが言う。「肉体の無い僕には雨が肌を打つ感覚も無い。それはやっぱり寂しいし、つらい」
荒川の絵の線はハッキリとして効果的である。黒ベタと中間色の影を使いムードを高めるが決して不必要な細部の書き込みでページを乱雑にしたりはしない。アニメ『鋼の錬金術師』を見ると、このアニメがオリジナルのデザインを忠実に再現しようとしていることがよくわかるだろう。
『魔法先生ネギま!』
『ラブひな』で1998年に大ヒットを飛ばした赤松健がまた同じ“ハーレム・コメディ”の新作で戻ってきた。“ハーレム・コメディ”とはオタクっぽい少年が可愛い少女たちに囲まれて過ごす話で、最初は彼を嫌っていた少女たちも結局最後は彼を好きなる、というものだ。10歳の魔法使いネギ・スプリングフィールドは、日本にある女の子だけの中学校で英語を教えるというあり得ないような修行をすることになった。初めはネギを受け入れないが次第に好感を持ち始める少女たち。少女たちの多くが魔力を持っているので、物語が始まると間もなく少女たちは魔法を使い、バンパイヤと戦い、悪魔を手なづける。
『ネギま!』には男性読者を刺激する“ファン・サービス”ショット満載だ。コマは読者が少女達のスカートを見上げるように構成され、重要な話し合いはお風呂の中で行われ、様々な魔法は少女達の洋服を吹き飛ばす。二人の受験生の不器用な恋愛の物語『ラブひな』でも沢山の気恥ずかしい場面が登場したが、ありそうだと感情移入することができた。しかし大勢の性的に魅力的な少女たちが思春期前の少年を追いかける、というのはアメリカでは考えられない。特にこの国ではこれを児童の性的虐待を示唆するもの、と捉える人もいるかもしれない。
『鋼の錬金術師』の明快さに比べて、赤松の絵は細部が細かすぎて読むのに苦労する。その上ネギのクラスの31人の少女たちは髪型以外殆ど同じ顔をしているので、読者は時々誰が何を誰に言っているのか混乱してしまう。
『HUNTER x HUNTER』
富樫義博『HUNTER x HUNTER』の主人公ゴンは父親の後を継いて世界を守るハンターを目指す。しかしハンターになるために必要なライセンスを得るには、厳しく時には死を覚悟したトレーニングや試験を受けなければならない。試験に挑戦する過程でゴンには3人の友人ができる。大望を持つ医者の卵レオリオ。状況を分析し策略を見破るクラピカ。暗殺者の一家に生まれたキルラ。ゴンは敏捷性と勇気で背の低さを補い、3人の友人と協力しながら困難を乗り越えていく。大きめのブーツを履いたツンツン頭のゴンは多くのマンガに登場する典型的な頑張り屋のチビ助だ。ゴンの真剣さと熱血さを対比させることで、富樫はこのキャラクターに深みを与えることに成功している。ゴンは危険な困難に喜んで立ち向かっていくけれど、テストの状況の中での仮定の質問が実世界での倫理的ジレンマに対応していることに気付いている。この道徳観こそがゴンの魅力であり、数多くのゴンに似たキャラクターたちの中でゴンが際立つ理由である。
富樫の絵は良い意味でとてもマンガ的だ。ゴンとその友人たちは明るく魅力ある世界に生きている。
多くの点で、エド、アル、ネギ、ゴンが直面している困難は『ハリー・ポッター』『タンタン』『少年探偵ハーディー・ボーイズ』のキャラクターたちが直面しているものと大差は無い。正すべき不正があり、解決すべき問題があり、助けるべき被害者がいて、正義を下すべき悪人がいる。危険はより大きく、舞台はよりエキゾチックで、武器はより洗練されてるかもしれないが、基本的な冒険は同じだ。
しかしこの3作品のように良いマンガというのは『スター・ウォーズ』や『遊戯王』などの見掛け倒しのテレビ・ゲームに変わる何かを探している若い読者の心に訴える言葉と絵の両方を持っているのである。
★おまけ
北米のニュースサイトANNの掲示板からこの記事に関するカキコミのごく一部を抜粋。
GoodluckSaturday
「『ハガレン』のタイトルの理由が、アルの魂が鎧に入ってるから??この記事を書いてる人ってこのマンガ読んでないの?」
SakechanBD
「前のニューヨーク・タイムスの記事*1でも『エルフェンリート』見てないのがミエミエだったよね?メインストリームのメディアに記事を書いてアニメやマンガの振興に一役買ってくれるのはいいけど、ちゃんとしたもの書いて欲しい」
Gatsu
「ネギまがアメリカで今イチ売れないだろうっていう主張は面白いけど、児童の性的虐待って見る人はいるか?キャラ全員が法定年齢に達してるだろ?」
・・・ソロモン氏孤立ぎみ。
*1:「手強い少女たち」当ブログの7月19日のエントリーに要約あり。