アメリカで2次創作物に未来はあるか?

ファンによる2次創作物は日本でも色々物議をかもしてきたが、アメリカでも、アニメ・マンガファンの増加に伴い同様の問題が起きつつあるようだ。

毎年夏にアメリカ・ボルチモアで開催されている大手アニメ・コンベンションOTAKONが、次回から新たに2次創作物を禁止する、という噂がたったことで、アニメファンの間で議論が巻き起こった。

この噂は米大手アニメ・ニュースサイトANNが、"Otakon Enforces Copyright at Artists' Alley"(1月28日)の記事で伝えたものだが、後に同サイトがすぐに"Addendum: Otakon Fanart Policy"で「まだこの方針は確定でない」と訂正文を掲載するなど、真偽がハッキリせず、余計議論に拍車がかかっていた。(アニメ!アニメ!さんが「米OTAKONから締め出される 版権物同人活動(1/29)」で、この記事を取り上げている。)

ついに昨日OTAKONがその噂について正式に否定、2次創作物に関して全面的に禁止することはないと発表した。

「アーティスト・アレイに関する噂について」(OTAKON公式サイトより要約)

OTAKONは、2次創作物を全面的に禁止することを検討したこともなければ、禁止を実施する予定も無い。

ただ規則は厳しくする。OTAKONのアーティスト・アレイで販売を許可されるものに関しては、法律の専門家の検討が終わり次第、具体的でより明確なガイドを発表する予定である。参加者(アーティスト、コン出席者の両方)の多くにとって不満の無い内容になるはずだ。

このような規則の変化は“公正使用”*1を拡大解釈しようとする者や、個人的な利益のために版権物を悪用しようとする者によって起こされる問題を明らかにするものであり、アーティストや版権物の権利者の利益を守るだけでなく、健康的なファン活動を奨励するOTAKONの権利を守ることになる。

もともとアメリカのアニメ・コンベンションは、日本のコミケなどと違い、ゲストの講演、企業のパネル・ディスカッション、出版社や販売店のブースがメインで、ファンやプロによるオリジナル作品及び2次創作物販売は会場の「アーティスト・アレイ」と呼ばれる限られた場所で行われている。しかし、近年のアニメ・マンガのファンによる2次創作物人気で、その「アーティスト・アレイ」は年々規模を大きくしている、ということだ。

アニメ!アニメ!さんは上の記事で、

 日本とアメリカ、ヨーロッパなどのアニメ・マンガイベントの最も大きな違いは、日本は同人誌即売が中心なのに対して、欧米はゲスト講演やコスプレショーなどが中心なことである。実際に、日本ほどマンガ同人誌の活動が活発な国はないであろう。

 この理由は不明だが、そのひとつに海外ではアニメやマンガのキャラクターの権利保有者が、同人誌活動に対して日本より厳しい姿勢を持っていることにあるのでないかとの指摘もある。
 作品の生まれた日本で同人誌活動による作品・キャラクターが、ほとんど黙認されている一方で、海外でそれらが禁止されるという状況は興味深い。そして、いわゆる版権物の同人誌なしでも海外の同人活動が活発になるのか、それとも、日本の同人誌イベントの盛況は日本だけの特異な存在で終わるのかも気になるところだ。

と、見解を述べられている。確かにアメリカの著作権侵害に関する考え方には、日本の比ではない厳しさがあると思う。学校教育の場でも作文、論文の書き方と同時に著作権の問題が取り上げられ、大学にいたっては「同じ6〜7単語の連なりが出てきたら盗作とみなす」とし、実際に停学・退学になる生徒や、職を追われる学者が後を絶たないらしい。

日本でコミケなどの2次創作物発売の場の存在が、業界全体の発展に繋がっているのは間違いないことを考えると、アメリカの2次創作物に関する扱いがこれからどうなっていくかは本当に興味深いところ。

↓『マンガと著作権−パロディと引用と同人誌と−』は、コミケ主催者米沢嘉博村上知彦夏目房之介いしかわじゅん竹熊健太郎とりみき高河ゆんらの参加した「マンガと著作権に関するシンポジウム」をまとめた本。2001年出版と少し古いが、とりあえずマンガと著作権の問題点を理解する第一歩として、わかり易いのでお勧めだ。

↓こちらはちょっと違って、PCユーザーのための実際的な著作権解説本。

ちなみに「2次創作物」という“ファンの創作するもの”の総称に対応する英語は今のところないようだ。「fan fiction」→「ファン・フィクション」、「fan art」→「ファン・アート」と、小説と絵がそれぞれ別の名前で呼ばれている。

追記:3月8日にこの記事の続報「アメリカで2次創作物に未来はあるか?続報」があります。

*1:訳者注:無許可で著作権のある著作物を使用しても、批判、報道、教育、研究などのためであるとき、著作権侵害とならないとする法理論(アルク英辞朗"fair use"より。)