「マンガを読んでアメコミを読まない12の理由」:マンガとアメコミの違い。

(一番下に追記アリです。)

北米のマンガ関連記事を扱ったブログMangaBlogさんを通して知った、コミックスウエブマガジン「Silver Bullet Comics」からバーブ・L・クーパー氏の記事を取り上げようと思う。

記事の題名は直訳すると「マンガをきっかけに西洋のコミックスにハマることにならない12の理由("12 Reasons Why Manga is Not a Gateway Drug to Western Comics")」で、意訳すると「マンガを読んでアメコミを読まない12の理由」。つまりマンガとアメコミの違いを書いた記事である。

記事には特に明記していないが、クーパー氏の言う「西洋のコミックス」はいわゆる『Xメン』などの「スーパーヒーローもの」のことのようだ。「西洋のコミックス」とひとくちに言っても「メインストリーム」と呼ばれる「スーパーヒーローもの」から「インディー・コミックス」(または「オルタナティブ」)まで、アメリカ産だけでも多様なコミックスがあるのだが、他のブログでも指摘されているように、クーパー氏の「12の理由」記事ではこの点がハッキリしていない。

しかし文脈からみると特に指定されていない場合は「スーパーヒーローもの」のことらしいので、読みやすくするために指定されているもの以外は全て「アメコミ」で統一して訳してみることにした。

筆者であるクーパー氏はアメリカ人女性でアメコミとマンガの両方の読者である(らしい)。そのクーパー氏から見た「マンガとアメコミの違い」ということで、一つの意見として読むのはとても面白いと思う。個人的には、アメリカ人アメコミ読者の「アメコミを読んでマンガは読まない12の理由」という記事も読んでみたいところ。

記事はとても長いのでかなり要約する。(それでもかなり長いです。スイマセン。)前置きが長くなったが、それではクーパー氏の記事「マンガを読んでアメコミを読まない12の理由」の要約をどうぞ。

以前わたしは男性のアメコミファンにこう言われたことがある。「女性にはコミックスは理解できない」。わたしは辛抱強く彼らに説明した。アメコミは基本的に“男性による、男性のためのもの”という雰囲気が強い。女性読者を獲得しようというマーケティング戦略はほとんど見られないし、“女性に親しみ易い”コミックスに出てくる女性は間抜けで受身な、男性の目を楽しませるだけのヒロインで、内容も単純なコメディかロマンスだけ。これでは女性読者に受け入れられないに決まっている。

それに、女性向けのアメコミがあるとは知らない女性は、コミックス専門店に入っていってその女性向けのコミックスを探したりはしない。専門店のコミックスの大半が男性向けであり、しかも女性読者が感情移入できるキャラクターも無く、作っている側の殆どが男性という状況では、女性読者はコミックスに向かうわけはない。

わたしは薄笑いを浮かべて更に言う。「もしアメコミ出版社が女性読者向けのコミックスのレーベルを作って女性読者に売り込み、もしその女性向けコミックスが女性読者が全く歓迎されていないようなムードのあるコミックス専門店ではなく、一般書店に置かれるようなことがあったら、女性読者はコミックスを読むようになる」

でもこの変化のためにはアメコミ業界自身が変わらなければならない。しかし問題は業界が女性読者を欲しがっていながら、女性読者を得ることによって起こる変化を受け入れる準備ができていないところだ。スーパーヒーローたちは、女性が興味を持つかもしれないコミックスへと、道を譲らなければならなくなるだろう。

しかしその後マンガ読者が爆発的に増え、マンガがアメコミより大幅に売れるようになってくると、アメコミのファンやクリエーターからこんなことを聞くようになった。「マンガ読者がアメコミも読むようになるだろう」。こんなことを言うなんて、率直に言ってマンガがアメコミを市場より大きくなった理由を見逃しているとしか思えない。

アメコミ出版社はマンガ人気の意味をわかっていない。マーベル出版社の失敗*1を見てもわかるように、多分出版社は表面的なもの(マンガ的な絵)しか捉えることができず、深い意味(より多様な層にアピールするような新鮮なストーリー)に気づくことができなかったのだ。

以下に挙げるのはわたしが「マンガ読者はアメコミを読まない」と思う12の理由である。

1.入り口(の大きさ)が違う。

アメコミ読者がアメコミファンになったきっかけは、知り合いがファンだったという場合が多い。一方でマンガ読者がマンガファンになるきっかけはテレビやレンタルビデオ屋のアニメや、テレビゲームである。勿論、スーパーヒーローのハリウッド映画やテレビゲーム、更にはマンガスタイルのスーパーヒーローコミックスがあるが、アニメやアニメ的な絵を持つゲームの莫大な数は、西洋産のアニメ、ゲーム、映画を軽く凌駕している。日本でアニメは過去何年にも渡ってずっと人気がありたくさん作られていて、しかもアニメは(実写と違って)西洋での翻訳、マーケティングが容易にできる。

2.熱狂的なファンになることがなくても、アニメを見たりマンガを読んだりすることができる。

OTAKU”として知られるコアなファンはいるが、コアなファンになる前に気楽にアニメ・マンガを楽しむこともできる。同じことをアメコミに対して言うこともできるかもしれないが、実際はあるシリーズを楽しむには、そのシリーズの流れを事前にちゃんと知っていなければならない。そうでないとストーリーが途中でわからなくなってしまうこともある。しかしマンガを楽しむためにはそのキャラクターの長い歴史を知っている必要はない。多くのマンガは長いストーリーラインはあってもエピソードから成り立っていて、エピソード毎に理解できるようになっている。

3.マンガを読むために、コミックス専門店に行く必要がない。

わたしはコミックス専門店が大好きだが、そこに置かれているコミックスや、店員とお客との間の仲間意識に対して女性として時々疎外感を感じる。この仲間意識はコミックス専門店をアットホームな雰囲気にしているが、常連でない客はのけ者にされているように感じてしまう。それを考えると、ボーダーズなどの大手書店で買うのを好む読者がいるのも不思議ではない。わたし自身はコミックス専門店、特に個人で経営しているお店に行くのが好きなのだが、その品揃えや効率の良さで大手に行くこともある。

4.マンガにはカワイイ少女が出てくるだけでなく、カワイイ少年たちも出てくる。

アメコミは女性キャラクターだけをかなり性的に描くが、マンガにはカワイイ少年・少女に加えて、カワイイ、セクシーな両性具有者までも登場する。マンガの中では読者の目を楽しませるのは女性だけではなく、男性のキャラクターも読者を楽しませてくれる。男性読者のためだけに性的に魅力的に描かれている女性キャラクターに、女性読者が感情移入するのは難しい。

5.マンガのヒロインは見た目は良くても、ただのピンナップガールではない。

アメコミのクリエーターたちには、完全に根拠の無い思い込みがある。「女性は暴力、セックス、アクション、荒っぽいユーモアには興味がない。興味があるのは恋愛だけ」。実際わたしたち女性読者は物語の中の人間関係に惹かれるが、それだけに興味があるわけではない。ある種のアクションものの中に恋愛が組み込まれている物語も好きだし、受動的ではなく行動的で、勇気があって、ユーモアがあって、強く、思いやりのある女性ヒロインも好きだ。女性であれ男性であれ、受動的で、無力で、自己憐憫に終始しているようなヒーローやヒロインには感情移入できない。

6.マンガは女性読者の多様性を理解している。

長い間女性読者は“女性読者”というカテゴリーでくくられ、同じように振る舞い、同じように考え、同じものを読むと考えられていた。しかし実際女性読者といっても色々な読者がいる。マンガ出版社はそのことを理解し、ホラー、コメディー、ロマンス、ファンタジーなどのジャンルを通し、女性キャラクターをきちんと描いているマンガを出版している。結局「女性読者は何を求めているか」という問題ではなくて、「ちゃんとストーリーやキャラクターが描けているか」の問題なのだ。

7.マンガには女性クリエーターがいる。

アメリカのコミックス界にも女性クリエーターがいるが、その殆どが自費出版で活動している。インディー・コミックスやメインストリームにも女性クリエーターはいるものの、インディーではその殆どがユーモアや“生活の一面を描写する”タイプのコミックスを描いていて、メインストリームのごく少数の女性クリエーターは90年代初頭より更にその数が減らしている。しかしマンガにはたくさんの女性クリエーターがいる。マンガの女性読者は少なくとも部分的には、マンガの機会均等という雰囲気に魅了されているのかもしれない。

8.一つのマンガを読むと他のマンガが読みたくなる。

あるタイプの芸術・本・映画に惹かれると、同じタイプで別の作品が見たくなるものだ。あるマンガを読み通すと(マンガはかなり長い場合が多いのだが)、別のマンガが読みたくなる。日本産にしろ、アメリカ産にしろ、ネット上にも大量のマンガが存在する。マンガは日本で長い間ポップカルチャーの一部として人気があり、しかもまだアメリカに輸入されていないものも山のようにあるのだ。

マンガがたくさんありすぎて飽きてしまう、という人もいる。しかしわたしはそうは思わない。あるタイプのものに飽きたら人は別のタイプに移動するものだ。そのメディアから離れて行ってしまう人もいるが、マンガから離れた人がアメコミに行くことはないだろう。その逆で、メインストリームのアメコミから離れて、インディー・コミックスやマンガに来るという人はいると思う。2年前、わたしがマンガを読んでいることをからかっていた人が、今や自分たちもマンガを読んでいる。

多くの人々が興味の対象を一つのものから別のものへと変えるという現象が新しく起こった時、その別のものは消費者に対して何か面白いもの、斬新なもの、新鮮なものを与えている。マンガからアメコミへではなく、アメコミからマンガへと興味の対象が変わる人々を多く見てきたので、マンガはアメコミが提供できなかった何かを提供していると考えるのは非論理的だとは思わない。もしマンガがその新鮮さを失う日が来たら、マンガに飽きた読者は何を求めるのだろう?もし西洋のコミックスを求めるとしたら、女性読者はきっとスーパーヒーローではなく、『サンドマン*2やインディー・コミックス、ゴス・コミックスに行くと思う。

9.コアなマンガファンには、既にアメコミファンとは別のファンコミュニティーやファン文化が生まれている。

前に言ったように、マンガファンの全てがコアなファンになるとは限らない。しかし多くは“OTAKU”となる。わたしが聞いたところによると、コアなファンたちはアメコミファンたちから、見下されていると感じている。アメコミのファンコミュニティには、“OTAKU”の居場所はない。

一般にファンはサブカルチャーを分類したがり、他の派閥に属する人を受け入れない。例えば、メインストリームのコミックスファンは、インディー・コミックスファンを俗物と考えている。インディー派はメインストリームを変人だと思っている。しかし「自分たちは少なくともゲーマーや2次創作をしたりしない」というところで一致している。“OTAKU”の中にも、大きな目と小さな口のキャラクターや、コスプレをからかう人もいるが、もう既にアニメ・マンガファンにはアメコミとは違う独自のコミュニティーと文化が生まれている。

コアなマンガファンは大きなコミックス・コンベンションに行くより、いくら小さくてもアニメ・コンベンションに行くことを好む。アメコミを読むファンとマンガを読むファンでは読んでいるものは似ていても、もう違う言語を話しているのも同然なのだ。

10.マンガ文化は“消費文化”で“コレクター文化”ではない。

アメリカで読まれているマンガは、基本的に安いペーパバックを買い、読み、保存するか、またはebayやHalf Price Bookで売ったりするものだ。それは全て作品を消費することであり、将来の価値のことを考えて手に入れるというものではない。今までのところアメリカには、値段が上がることを見越してコレクターに買わせようというアメコミのように仕掛けのあるマンガはない。マンガ・アニメに関して関連グッズはたくさん出回っているが、それもマンガの消費文化の一部であり、西洋的なコレクターのメンタリティーから買われているのではない。例えばアニメ・マンガの関連商品を買ったとしても、その作品が好きだから手にいれたいのであって、将来高値がつくのを考えて買っているわけではない、ということだ。

11.マンガはアメコミのグラフィック・ノベル単行本より安い。

アメコミのものに比べると、マンガはより携帯に便利で本棚に入れやすい。大きな豪華本ではなく、扱いに注意が必要とされてもいない。本がそうあるべきなように、ただ読まれるためにある。安くて小さいマンガ単行本は、例えば限られたスペースに置く本を選ぶ図書館員にも魅力的に見えるかもしれない。

12.マンガファンの2次創作に対する考え方はアメコミファンと違う。

アメコミでは、2次創作は度々オリジナル性に欠けるもの、時には盗作と非難される。しかし日本では、2次創作は零細産業として存在している。コスプレもメディアでしばしば取り上げられるなど、熱狂的なファンの愛情も賛辞を受けることも多い。そして子供の頃から色々な作品の真似をしていくうちに、絵の巧いマンガ家になることもある。少なくとも、日本では2次創作は奨励されている。

アメコミに関しても同じような場合もあるが、ファンが自分自身の作品を描くようになるのにアメコミよりも日本のマンガの方が時間がかからない。それは(視覚的に)マンガのスタイルの方が、少ない線で生き生きとした人間を描写できるからである。結果として、日本とアメリカで、プロからもアマチュアからも、マンガが大量に生み出されている。

マンガ家志望者たちはクリエーターとファンの間に大きな溝があるとは思わない。多くのマンガ家志望者たちは女性ファンであり、彼女たちは自分たちが好きな芸術様式の一部に加われることをとても喜んでいる。彼女たちが経験豊富であろうとなかろうと、男性ばかりのアメコミ・クラブに入ることもなく、自費出版や、ウエブコミックスとして自己表現できるのである。

追記:
わたし自身「アメコミ」も少しですが読みますし、好きな作品もありますし、「マンガ」の方が「アメコミ」より優れていると考えているわけでは全然ありません。わたしはこの記事の内容が全て的外れとは思いませんが、北米マンガファン全体の意見を代表していると考えて訳文をここに載せたのではありません。アメリカでのコミックスとマンガを巡る状況の中の一つの意見としてとらえていただきたいと思います。

*1:管理人注:「マーベルの失敗」→以前マーベルはマンガのスタイルでスーパーヒーローものを描いたTSUNAMIというレーベルを出したことがあったが商業的にうまくいかなかった。その上スーパーヒーローファンと10代の少女をターゲットにした『Trouble』でも大失敗。『Trouble』は業界サイトICv2の選ぶ「2003年度コミックス界の事件」の「失敗作」として選出されている。

*2:管理人注:『サンドマン』→ニール・ゲイマン脚本によるコミックス。アラン・ムーアの『ウォッチマン』などと共に名作の呼び名が高い。