アメリカ人マンガ家によるコラム:「アメリカの少女たちは、日本の少女マンガを理解できるのか?」
以前もこのブログで取り上げたアメリカ人マンガ家タニア・デル・リオのコラム「Read This Way」で興味深い話題が取り上げられていた。それは「文化的違いから日本の少女マンガはアメリカの少女たちからちゃんと理解されていないんじゃないか」ということだ。
リオ氏のコラムでは更に、「日本の少女マンガに出てくる少女たちが、アメリカ人の感覚ではおとなしすぎて感情移入できないから、アメリカの少女たちは少女マンガより少年マンガに惹かれているのでは?」と暗に示唆している。もちろん日本でも「ジャンプ」の読者に女の子が多いのは良く知られていることなので、リオ氏の推測は少し的外れの可能性も高い。しかし、少女マンガの主人公がアメリカ人読者にとって「従順すぎる」ことについては、別のアメリカ人マンガ家が自分のブログでも取り上げ、リオ氏に強く賛成している。
まずリオ氏のコラムを私なりに読むとこんな感じ。(かなり要約)
以前は日本のマンガもアメリカのコミックス同様男性市場だったが、女の子たちもマンガを読むようになった。そこで女の子たちが読んでいたのは「少年マンガ」と言われるマンガだ。その後少女マンガもアメリカに入ってきて徐々に人気を得てきたのだが、多くのアメリカの少女たちは今でも「少年マンガ」を読んでいる。
そこでいくつかの疑問がわく。アメリカの少女たちはストーリーやキャラクターの何に惹かれているんだろう?そこに文化的なものが影響しているんだろうか?日本の少女マンガのテーマは、日本の少女と同じようにアメリカの少女に強く訴えることができるんだろうか?
例えば、アメリカでも人気のある『きみはペット』の主人公すみれはキャリアと女性としての幸せを両方手に入れようとするが、これはアメリカではごく当然の事、と受け取られている。しかし日本でもすみれの望みは同じように受けとめられているのだろうか?『花より男子』の主人公は自己主張しているが、このマンガが日本で持つインパクトと同じインパクトをアメリカの読者に対して持てるだろうか?つまり、社会的に期待される女性の役割が違う日本とアメリカで、少女マンガが同じような魅力を持つことができるのか、ということだ。
少女マンガがよく批判されるのは、少女マンガの主人公たちは彼氏や真実の愛を求めることに執着し過ぎていて、読者に「良い男を求めることだけ心配すればいい」と教えているかのようなところである。
しかしアメリカでは夢見がちな印象を与える少女マンガの登場人物たちも、結婚相手に親の意見が重要だったり、お見合いの制度が存在する日本では、自分だけの男を求めるという行為それだけで西洋の読者が受けとめるのとは違うニュアンスがあるのかもしれない。
男女の役割に対する社会的プレッシャーにおいて日本より恵まれている西洋の少女たちは、いかに自分たちが恵まれているか理解することなく、少女マンガのメッセージをちゃんと理解するのは難しいのではないだろうか?
このコラムを受けて別のアメリカ人マンガ家リヴカ氏がブログで次のように書いている。(要約)
リオ氏のコラムは良い点をついていると思う。私はずっと少女マンガの主人公たちの従順な感じのところがイヤだった。もちろん従順なのにも良いところはある。少女マンガでは保護者として男の子たちが少女を救いに駆けつけてくれるからだ。
でもアメリカではこうならない。少なくとも私は自分をもっと強く、自立していると考えているし、多くの少女マンガのように誰かに幸せにしてもらうより、自分に何ができるかやってみるのが先で、その後なら誰かと関係を結んで、その人を幸せにすることができると思っている。だから『きみはペット』のすみれは理解できるが、『ホット・ギミック』の主人公には腹が立つ。
しかしアメリカ産の少女マンガは違う。例えば『Mark of the Succubus』『Dramacon』なども主人公は従順さを持っているがそれほどあからさまではなく、いざという時は自分のために立ち上がる。
私がそう感じるのは、アメリカでは少女は伝統的女性と進歩的女性の二つの役割を上手くやっていくよう求められてきたからかもしれない。そして日本ではそうではなかったのかもしれない。
リブカ氏のコメント欄では、「少女マンガの少女は従順に見えるが、日本とアメリカでは強さの表し方が違うのでは?」「従順だから弱いとは限らない」「(自分はアメリカ人だけど)『ホット・ギミック』が好き」「(アメリカの)マンガ好き少女たちの同人誌の創作意欲を刺激するのは少女マンガよりジャンプ系の少年マンガ」など色々な方向に向かって議論が進んでいる。
リオ氏が自分のコラムで言っているように、日本の少女マンガが日本社会の完璧な反映であるわけではない。そして「日本の少女マンガにでてくる少女たちは従順過ぎる」とアメリカ人のマンガファン全てが感じているとは限らない。それにそもそも現在の日本の少女マンガの主人公たちがそんなにみんな従順な女の子たちなのか?という疑問を持つ人も多いだろう。
80年代後半から90年代初頭にアメリカで日本のアニメ・マンガが人気と日本で話題になったころ、その意外性からか「アニメ・マンガが日本と同じようにウケている」ということが驚きを持って強調されていた気がする。でも本当に同じように受け止められているのかな?という疑問を個人的な経験から持っていた。もちろん外国人には日本の○○が理解できない、とするのは間違っていると思うし、同じ日本人どうしだって人によって受け止め方は色々だ。でもかなり細かいところで文化の違いによる受け止め方の違いみたいなものがあるのではないかとも思う。
この話題は面白いと思うのだが、考えがまとまっていないのでこの辺で。
以前このブログで取り上げたタニア・デル・リオ氏のコラム:「Manga論争について」
↓リヴカ氏のOELマンガ。自分の高校生の時の性格(頑固で扱いにくく知的)を主人公に反映させたそうだ。
- 作者: Rivkah
- 出版社/メーカー: Tokyopop
- 発売日: 2005/10/30
- メディア: ペーパーバック
- この商品を含むブログ (1件) を見る